眠らない街

 24時を回る。布団を敷いてみる。目を瞑ってみる。眠れずにそわそわする。Twitterを開く。

 暗い部屋でツイートを読む。眠れない焦燥が朧気に現れて、読むスピードが上がっていく。脳の処理落ちの感覚を眠気と誤認する。目を瞑ってみる。眠れずにそわそわする。Twitterを開く。何かしら共鳴可能なものをFFが感じ取ってくれたなら、素直に嬉しく思う。

 少し前、こういう日常に睡眠障害の診断が下されて眠剤を服用するようになった。1回意図せず16時間ぶっ続けで寝たことがあって、流石にそれは変じゃんと思ったからちょっと相談したいなというくらいの心持ちだったのだけれど、思いのほかちゃんと対処する必要があるんだなあと驚いた。俺はこの生活にもう慣れてしまっていて、だから別に自分がおかしいような自覚は無かった。いつ開いてもTwitterには人がいたし。

 眠剤飲んでんならなんでこんな時間に起きてんだよ、と思うかもしれない。答えは単純で、なんか薬が効かなくなってきた。昼寝をしたのが問題なんだろうけど、眠い時に寝たいから仕方ないよね、という気持ちが優先しつつ、これじゃ何のために眠剤貰ったのか分かんねえよという気持ちもちゃんとある。

 正しく生きることへの憧憬は、そうやって生きてる人たちに抱く劣等感の数だけあって、自分もそうありたいと望む傍ら、そうでない風に生きていることをアイデンティティに組み込もうとしている自分を、殺し切れていないことも知っている。仮にこの気持ちを抑えて部分的に正しくなってみたとして、そこに屈折した自尊心の根拠は存在しうるだろうか。

 それでも俺は現に大学に通えていたりバイトができていたりする、社会の中で生きていける人間なはずで、その自覚がある以上志向すべき方角は正しさであるはずだ。睡眠のことだけじゃなくて。

 とはいえ、ヒーリングミュージックだらけのYouTube眠剤を抱えて生きていくような弱さが、今後も俺に付き纏い続けるような予感もある。これまでの人生のそれなりの期間がそうであったように。だから、眠らない街としてTwitterが、この先もこんな夜に灯り続けていて欲しいと願う。