眠らない街

 24時を回る。布団を敷いてみる。目を瞑ってみる。眠れずにそわそわする。Twitterを開く。

 暗い部屋でツイートを読む。眠れない焦燥が朧気に現れて、読むスピードが上がっていく。脳の処理落ちの感覚を眠気と誤認する。目を瞑ってみる。眠れずにそわそわする。Twitterを開く。何かしら共鳴可能なものをFFが感じ取ってくれたなら、素直に嬉しく思う。

 少し前、こういう日常に睡眠障害の診断が下されて眠剤を服用するようになった。1回意図せず16時間ぶっ続けで寝たことがあって、流石にそれは変じゃんと思ったからちょっと相談したいなというくらいの心持ちだったのだけれど、思いのほかちゃんと対処する必要があるんだなあと驚いた。俺はこの生活にもう慣れてしまっていて、だから別に自分がおかしいような自覚は無かった。いつ開いてもTwitterには人がいたし。

 眠剤飲んでんならなんでこんな時間に起きてんだよ、と思うかもしれない。答えは単純で、なんか薬が効かなくなってきた。昼寝をしたのが問題なんだろうけど、眠い時に寝たいから仕方ないよね、という気持ちが優先しつつ、これじゃ何のために眠剤貰ったのか分かんねえよという気持ちもちゃんとある。

 正しく生きることへの憧憬は、そうやって生きてる人たちに抱く劣等感の数だけあって、自分もそうありたいと望む傍ら、そうでない風に生きていることをアイデンティティに組み込もうとしている自分を、殺し切れていないことも知っている。仮にこの気持ちを抑えて部分的に正しくなってみたとして、そこに屈折した自尊心の根拠は存在しうるだろうか。

 それでも俺は現に大学に通えていたりバイトができていたりする、社会の中で生きていける人間なはずで、その自覚がある以上志向すべき方角は正しさであるはずだ。睡眠のことだけじゃなくて。

 とはいえ、ヒーリングミュージックだらけのYouTube眠剤を抱えて生きていくような弱さが、今後も俺に付き纏い続けるような予感もある。これまでの人生のそれなりの期間がそうであったように。だから、眠らない街としてTwitterが、この先もこんな夜に灯り続けていて欲しいと願う。

Twitterを一週間やめてみた

はじめに 

 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。この記事を読んでいるのは、Twitterの改悪に頭を抱えさせられたどうしようもないツイ廃の方々だと思います。当然僕もその一人で、障害が発生した当時は全く更新されないTLを依存症実験の猿のごとくシュポシュポし続けていました。本当に辞めて欲しい。

 さっさとTLを見せろと思う一方で、もう潮時かなあ、と思ったこともまた事実です。

 

 というのも、実は先月で本垢(f_kxsn)が三年目を迎えていたらしいんです。

この造語で祝われるんなら七月六日にTwitter始めればよかった

 TLを見られない中で通知欄を遡り、この通知から自分のTwitter人生を振り返ってみると、多分マジで5,6年間肌身離さずTwitterと一緒だったなと思いました。小学校卒業出来てまうわ。ここらで一旦Twitterと完全に隔絶されてみてもいいかもしれない。という訳で、7/2~7/9の一週間は何が何でもTwitterを開かずに生き、その日々をブログにまとめてみることにしました。何かしらのコンテンツに昇華できないと多分Twitterを見てしまうので。

 そんな感じでTwitterのアプリを消し、一日の終わりにこのブログでその日を振り返る、という一週間を開始しました。まあ日記をまとめたものと考えてお読みください。

 

 それでは、本編へどうぞ。

 

1日目

 この日の午後にログアウト生活を開始した。アプリをアンインストールした5分後には指が無意識でTwitterを探していたので流石に驚いた。

 Twitterの依存から脱却するために別の物に依存しようと思って、とりあえずYouTubeを見始めた。YouTubeは体力を全く消費せずに没頭できるから比較的ハマりやすいサービスであると同時に、Twitterのようにこちら側から働きかけることが極めて難しいコンテンツだから、ある程度の時間で飽きが来るのだ(もちろんコメントはできるが、YouTubeコメント欄への書き込みはあまり僕の趣味ではない)。この考えの下、一旦Twitterへの執着を振り切ってYouTubeにのめり込み、飽きたら読書や試験勉強をしようという完璧で究極な計画が始動した。

 

 甘かった。YouTubeにのめり込み、飽きるところまでは計画通りだった。しかし、どうしても無意識がTwitterを探してしまう。YouTubeを閉じ、ホーム画面を左右に動かし、色々なアプリを開いては閉じ、最終的にまたYouTubeを開く、の繰り返し。これならTwitterしてた方が有意義じゃね?と思ったが、ブログのために何とかこの意味不明な作業を耐え続けてた。

 「何もしていない」を延々繰り返すという虚無はそのうちに収まり、遂に課題に取り掛かることができた。先ほどまでの無意味な行動は体感としてはかなり長かったが、実際に時計を見てみたら10分も経っていなかったようだ。一日に何時間もTwitterに費やせる俺でも、100%無意味な行為をし続けるのは流石に厳しいらしい。

 課題をしている間は不思議とTwitterのことは考えなかったが、それを終えてシャワーを浴び、布団に入ってからが厳しかった。最近は暑さもあってか寝つきが悪く、入眠までがどうしても暇でTwitterをしたくなってしまう(しかも寝ようとするときってスマホいじったり本読んだりしてるとクッソ眠いのにその辺を閉じて眠ろうとしたら眠気がどっか行かない???あれ本当にやめて欲しい)。とりあえずその日はにじさんじ甲子園のドラフト会議を見ている内に眠くなり、就寝に成功した。いい睡眠導入方法やサプリを知っている人がいたら教えてください。

 

2日目

 18時間くらい寝ていた。嘘だろ?

 ぶっ続けで寝ていたというよりは、7時に起きて、起きるのが嫌で寝て、10時に起きて、嫌だから寝て、12時に起きて...を繰り返していたら18時。嘘だろ?

 最近読んだH.S.サリヴァンの『個性という幻想』の中で、「何もやらない、考えない」状態としての虚脱が触れられており、それはこれまで暗黙裡に信じていた秩序が崩壊したときに生じると書かれていたことを思い出した。え、俺ってTwitterを絶対に揺るがない秩序だとみなすレベルで依存していたの?嘘だろ?

 とりあえず外には出なきゃ駄目だなと思った(何回か起きた時にも思ってはいたのだが、その時は着替えが本当に苦痛でできなかった)。10分くらい着替えが嫌だという気持ちと格闘した後外出に成功し、まだ時間があったので学食を食べに行った。アイヌフェアというのが行われていて、チポロ丼が売っていたためそれを食べることにした。

 本来はもっといろいろな食べ物が混ざっているんだろうけど、今回は純粋なサーモンの親子丼という装いだった。まずくなるはずのない組み合わせだし、実際普通においしかった。量が少なくて割高感はあったけど、海鮮丼は一般に高くなりがちな商品だし生協の中ではいい方だと思う。それはそうと学食はもっと値下げして欲しい。

 食後はたまゆらに行こうと思っていたのだが、よく考えたら替えの下着もタオルも何もかも忘れていたのでそれは断念し、勉強道具とPCだけ持っていたため、スタバかミスドで勉強することにした。なんとなく家に帰るのはダメな気がしていた。そう言えばミスドで白いポンデリングが売っている時期だなと思い出したので、ミスドに向かった。

 メンストを南下する道すがら相対性理論ウルトラソーダを聴いていて思ったが、こういう曲は意味的な繋がりからの解放を強く感じられて好きだ。もちろん深読みの余地が大いにある楽曲もオタクになれて最高なのだが、短歌にそれなりに真剣に取り組んでいる手前、日常の思考に最も近い散文形をあえて脱して詩や音楽へ向かうのならば、やはりそこには意味以上の価値を見出したい。

 ミスドでは通常形態の白いポンデリングハニーチュロスをトレーに入れた。小さい頃、母とミスドに行った時にハニーチュロスを食べていたら「〇〇はハニーチュロスが好きだね」と言われたことを何となく覚えている。確か歯医者の帰り道だった。

 ポンデリングハニーチュロスの付け合わせにブレンドコーヒーを頼んだら、店員さんに「ホットでいいんですよね...?」と言われて面白かった。夏にホットコーヒーを頼んでいた変な青服として記憶されていたら良い。

 ミスドでは普通にめちゃくちゃ勉強した。この頃にはほとんど諦めがついていたのか、無意識にTwitterを探すこともほとんどなかったし、探したとして一瞬で「そういやないわ」と切り替えて作業に立ち返っていた。デジタルデトックス、チョロくね?

 大体19時半から2時間ちょっとミスドで勉強した。家に帰っても良かったのだが、いかんせん18時から活動を開始したので全く眠くない。できるだけ正常な生活リズムに戻るには疲れることが必要だと考え、夜の北大農場を探検することにした。昼には何回か行ったが、夜は今日が初めてだ。

 農場に着いたが、なんかいろんな生物の鳴き声がぎゃあぎゃあ響いていて恐い。とにかく怖い。この怖さを伝えた過ぎてわざわざYouTubeチャンネルを作った。見て。

youtu.be

 怖くね?普通に。田舎の夜は蛙の声とかでうるさいとは聞いていたが、その状況に遭遇するのは初めてで結構面食らった。二百万都市のど真ん中で起こっていい現象じゃないだろこれ。もっと怖いのが、たまに人とすれ違うこと。一般に人って幽霊なんかより余裕で怖いとされているからね、こんな時間に農場なんか歩かないで欲しい。

 少し散策していたら「まもなく閉場します」みたいなアナウンスが遠くから聞こえた。ホラー漫画だったら一晩のサバイバルに強制参加させられる展開だと感じたため、帰路に逃げた。人を怖がらせるのはやめて欲しいね、全く。やれやれだぜ。

 家に帰ってからは民法の勉強をして、ブログをここまで書いて寝た。

 

3日目

 2限に出られる時間に起きた。優秀。明日は早起きしてトレセンに行きたい。3限を受けている時に短歌を数首思いつけたのでよかった、カクヨムの公募に間に合わせたい(先輩と同級生とのいちごつみを滞納しているので、そっちも何とかしたい)。

 今日は『黒曜宮』を結構読み進めた。一首として屹立している歌が多くてかっこいい、憧れる。もしこの一週間日記の最中に読了したら何首か引用して、ついでに感想を詳述してみたいと思う。

 5限を終えてから21時まで友人との議論が勃発した。その内に気にかかる論点が出てきたので備忘録ついでに記しておきたい。それは、沖縄戦時の県民は、皇国日本の神話の下でどの程度の団結を示していたのか?ということだった。伝統的に琉球王国は清と薩摩藩への両属状態を続けており、日本の主権への吸収、すなわち琉球処分が完了したのは1879年のことである。1945年時点ではそこから70年も経っていない計算だ。その時代感なら訛りは今以上にいわゆる標準語と離れていただろうし、信仰についても(ほとんど知識は無いが)琉球神道というものが存在したことくらいは知っている。無論方言や土着信仰は日本各地に遍く見られる特色であるが、沖縄という土地は①明治時代まで日本の中央権力から直接の支配を受けておらず、また②朝貢貿易の中継点という背景から多様な文化的影響を受けていた、という少なくとも2つの点で日本の他地域とはかなり異なっていたと考えられる。本州・四国・九州とは基盤を異にする戦前の沖縄において、教育勅語はどの程度浸透していたたのだろうか。

 以上の論点は二人とも知識が足りていなさすぎるということで早々にパスされたけれど、個人的に気になったので軽く議論のメモをしてみた。正しさに関する保証は全く無い。明日余力があれば少し調べてみたいと思う。

 家に帰って課題をある程度進めて、今日は書くことがない日だったな~と思っていたら高校の部活のグループラインで通話が行われていて嬉しかった。基本的にザ・大学生みたいな性と酒の話は不愉快なんだけど、この人たちの話はいつまででも聞いていたいと純粋に思える。「最近舐め腐ってる後輩いてさ~」から始まった「なんかグループラインで先輩たちが真面目な話してるのにイタリア語で反応してくるんだよ」って話面白かったな、そいつは多分普通におもろいだろ。

 

4日目

 今日は爆睡してしまった...…駄目だな。最近かなり体力の低下を感じる。原因としては単純な夏バテと、先々月にかかったコロナの後遺症の喘息をまだ引きずっていてこれがじんわりとしんどい。加えて、明確な診断は受けていないんだけれど、コロナの後遺症の一つとしてしばしば長期に渡る倦怠感が見られると医師から聞いた。いや~勘弁してくれ。

 そういう訳で最近はいろんな栄養ドリンクを飲んでどれが一番効くか試している。今のところの順位はキューピーコーワαドリンク>リボビタンファイン>リボビタンD>キレートレモン=オロナミンCという感じ。飲む時間帯やその日の食事・睡眠時間などによっても効果が変わってくると思うので皆にも実験してもらいたいが、とりあえずキューピーのドリンクはめっちゃ効くので迷った時に飲むものとしてはこれを勧めたい。味もいい。

 食堂に行ったらまだアイヌフェアが行われていたので、まだ食べていないイナキビご飯とラタシケプを食べてみた。その内オハウも食べられるといいな。

 イナキビご飯はキビと白米を混ぜて炊いたもので、キビは食感として固く(カシュ―ナッツに近い)、ほんのり甘かった気がする。ラタシケプは甘かった。食べた感じの予想だとカボチャを練ったものに大豆や小豆が混ぜられているのだと思う。

 授業をすべて受け終えた後は服を買いにGUとセカストへ行った。

 GUに行くついでにロフトに寄ったのだが、あの店は洒落た珍しい物が色々とあるな。将来はこういう店でそろえた小物を家に置いてみたい。とりあえずハスカップ味のグミを持ってレジに行ったら友人に応対されてちょっと恥ずかしかった。なんでいるんだよ。せめて髪切る二日前の最悪な状態では遭遇したくなかった。

 あと今日は短歌研究新人賞の発表号を読んだ。やっぱり最終選考まで残るような連作はどれも力があってすごいな~読者側に実感を抱かせるような具体性を持って説得してくる力。読み手に寄り添える表現を探すことや多彩な修辞を身に付けることが今後の俺の課題だろうと思う。

 ところで、これはGABA。

ドンキで買った

 

5日目

 GABAが効いてるのか、7時半に結構すっきりと目が覚めた。ただ、いい夢を見ていたので続きが見たくて二度寝した。この試みは上手くいったのでいい二度寝だったと思う。問題があるとすればこれのせいで1限を逃したことくらい。ちなみに、今日見た夢は教えてあげません。

 今日はサラダ記念日。これは結構残り続けるんだろうな、正直とても羨ましい。誰が死んでもそのまま回り続ける世界に対してささやかな抵抗をしたいという気持ちで生きている。それを短歌でやれるのか、やりたいのかは別として。

 それにしても今日は何もない日だった。別に何かある日の方が良いとか決まっているわけではないけれど、期末試験が本当にまずいんだから勉強くらいはしてもらいたかった。バイト始まるまで結構時間あったろうに。

 ただ、保身のための言い訳をするとやっぱり疲れてた。バイト中もクラっとすることが多くて、もう明日にでも飛んでやりたいと思っている。ま、狭い職場においては大きめのダメージになると思うと頑張れちゃうんだけどさ。

 そうだ、昨日はTwitterのことに触れなかった気がする。それはTwitterのことを考えていないとかではなくて、他に書くことがあったから長くなりすぎないように書かなかっただけ。基本的にここ最近ずっとツイートをしたいと思っているし、実はPCからはたまにみてる、ごめん(企画崩壊の音)。いやでもね、最近iPadばっかで基本的にPC使わないからこのブログ書く前後にちょっと見るくらいなんですよ。許して下さい。Twitterがしたいんです。

 バイトから帰って、シャワーを浴びて、日記をここまで書いて、書くことに悩んでいたらどうしようもなくシュークリームが食べたくなってきたのでコンビニへ向かった。

 シュークリームを食べ終えたら口の中が甘くなりすぎてちょっとしんどくなってきた。甘いものは普通に好きなんだけどキャパが尋常じゃなく少ないんだよね、ケーキもワンピースで胸がいっぱいになる。

 烏龍茶を飲んで床に就いた。

 

6日目

 なんか早朝起床って無理になりつつあるね、普通に。一旦24時間起床を行って強制的に生活リズムを再起動させるしかなさそう。

 今日は髪を切った。最近なんのために高緯度地域に引っ越してきたのかわかんないくらい暑いから邪魔な髪消えるだけでもだいぶ楽になる。逆にこの時期でもロング貫いてる人たちは本当にすごい。あの人たちって髪のケアとかどういう仕組みになってるの。

 髪を切るというイベントって、嫌ですよね。まず美容室という空間が嫌で、次にコミュニケーションが生じるのが嫌という感じ。お前らならわかるよね?この感覚。コミュ障っていうのは初めましての人や知らん陽キャ集団がいる環境よりも、月一ちょいの頻度で会う人間とそれなりの時間の1on1を繰り広げさせられる方が苦しいんです。喋れない癖に喋って場を持たせたい気持ちだけはあるから沈黙も苦しいし。

 しかし、しかしですよ。僕は最近髪を切るのが楽しみになってきています。そこは通い始めて三回目になる美容室なんだけど、担当のスタイリストの方に俺が19歳って伝えたら「未成年の風貌じゃない」って言うし、普段上げてる前髪を下ろしてみたら「一気に幼くておもろいっすねw」って言うし挙句の果てにはシャンプーを買ったのに渡し忘れてくるし、なんか言動がナチュラルに失礼で面白い。正直客商売だから失礼だって形容しているだけで、内実は知人・友人の距離感での無礼というか、とにかく全然許容範囲に感じられるんだよね。なんというか、今まで遭遇してきたスタイリストの人たちって客を相手にしたときの話が上手いなって印象だったんだけど、この人はそのフレームを越えて俺とあの人の間の個別的な距離感自体を自然に詰めてくるからすごい。こちら側が自分勝手に緊張するような空気感を作らない、これがコミュ強の生態か...…どこまで意図的にやってるんだろう。

 髪を切ってルンルンで学校へ行ったところ、少々咳が出始めた。これくらいなら大丈夫だろうと思って空き教室で授業までの時間を潰していたんだけれど、ちょっと喘息の症状が酷めに出てきたので今日は撤収することにした。行ける気がしたんだけどな。

 帰宅して少し休んでいたら、洗濯の回数調整をミスって持ってるバスタオル三枚を同時に洗濯してしまっていたことを思い出した。つまり今は全部干してるところだから使えるものが無い。仕方ないのでたまゆらに行こう(もちろん咳止めを飲んで咳が出ない状態です)。

 そういう訳でたまゆらへ行き、まずラーメンサラダを食べた。ここはコスパのいいものと悪いものとが結構別れるイメージなんだけど、ラーメンサラダについてはこれで500円なら安いと思う。最近野菜食ってないせいで貴重に感じているだけかもしれないけれど。

 回数券ユーザーなので月一くらいでたまゆらに出没するんだけど、やっぱいつ来ても人は多いね。中高の頃は友達と近くの温泉に行く習慣が無かったから、自分とかわらない年頃の人たちが大挙して湯船に現れるとちょっと意外な感じがする。やはり裸の付き合いは親愛の証としての側面があるのか、彼らの多くは愚痴っぽい会話をしている。あるコミュニティの部分集合においてコミュニティの悪口を言い合うのは、部分集合に対しての強い帰属の意思表示みたいな節があるだろうし、そういう所が裸を見せられる関係と重なりを持ってくるんだろうか。 

 とか、考えてたら露天風呂のテレビでナウシカが放送されてて嬉しかった。ジブリ作品で二番目に好きなので。

 風呂から上がり、座敷で前述の『黒曜宮』を読み終えた。この歌集はかなり気に入ったので少しこれについて話したい。まず、この歌集はかっこいい。耽美だ。そこに異論の余地は無い。

世界かく美しくある朝焼けを恐れつつわが百合をなげうつ

復活の前に死がある昼下がり王は世界を御所望である

絶唱を知らずラクリマ・クリステのかつて宴に賭けし青年

 他方、全体的表現が不自然で、ちょっと不自然なところがある。文庫版解説で千葉雅也も触れていることだけど「マンガのダークヒーローに自らをダブらせ」る、いわば妄想への逃避に走るような弱さが、上記の歌が帯びる強さとは裏腹の側面として現れていると思う。その弱さの背景として描かれるのが性的マイノリティであるとの自己認識、月への憧憬、そして死と自分を隔絶できない感受性だ。

僕たちは月より細く光りつつ死ぬ、と誰かが呟く真昼

大衆に入りゆく覚悟にほはせて友は霜夜の麦酒をあふる

ふと気付く受胎告知日 受胎せぬ精をおまへに放ちし後に

子を成さぬ営みの間に七日後の聖誕祭を思ふかそけさ

からみあふ僕らを常に抱く死とは絶巓にして意外と近し

 「大衆に入りゆく覚悟」という言葉遣いからは、大衆と明確に線引きされた存在である友と作中主体が見えてくる。そんな主体は、友の覚悟をどう受け取っただろう。裏切りと捉えただろうか、それとも見下しただろうか。それらがあったにせよ、もとより存在していた、いつか自分も大衆と同化するという予感は確信に近づいたのではないだろうか。また、「受胎告知日」によってキリスト教のイメージを持ち出すことで、主体自身の男性同性愛は禁忌として描写される。背信のこの艶やかさはしかし、浮彫の対比によって強調されすぎている。つまり、冒涜の明示は主体的な反逆というよりは強がりとしての意味付けに見える。

集団ゆ遅れがちなるわれの名を少年一人のみ呼びくれし

 煌びやかな神々しさよりも月明かりにシンパシーを覚えてしまい、常に死を意識して翳りの内でしか生きていかざるを得ない者にとっては、「月より細く」光る一瞬の生を誇ることが世界へのせめてもの抵抗なのだ。

 <彼>はいずれ大衆に溶け込み、かつて自分に付与した悲劇性を取り外して物語の外側で生きるのだろう(これも、ある種のストーリーかもしれない)。しかし、あの時代の残滓が時折目を覚まして、厨二的な欲求に浸るはずだ。「あの頃」的な弱さと傲倨さ、そして強さへの渇望のどれをも排斥せずに一冊を歌い切った点で、この歌集は強い文学だと思う。

わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を

 とりあえず、僕も朝が来る前に寝よう。

 

7日目

 最終日。今日が終わればTwitterができる!長かった...…。

 今日は久々に午前中からトレセンに行ったし、最近サボりがちだった自炊と買い出しもやった。かなり社会適合度が高い。

 でも、今日の午前中に再配達を依頼していたのを忘れていたせいで筋トレ中に受け取りの機会を逃してしまい、再々配達を頼むことになってしまった。人権ポイント5点減点。

 今日の最高気温は30度でした、舐めやがって。活動しようにもできないよね。カクヨムの短歌コンテストだってまだできていないのに、トレセンから帰宅し、暑すぎてぶっ倒れ、そのまま自殺顔労働。誰か私を助けてください。

 とはいえ、今日のバイトはかなり神がかったメンツと混み具合だったので難なく乗り切れた。飲食で働いているのでその日のメンバーによって締め作業の速さ(=帰宅時間の早さ)が変わったり、あるいは混み具合によって削れる体力が全然違ってくるのだが、シゴデキの方々と同じシフトだったので定時前に上がれたし、花火大会があったからか客は全然来なかった。しかし、店が空いているのが花火のせいだと知ってしまってから心にダメージを負ってしまった。花火は付き合ってから別れるまでの一瞬を暗示していて不吉だから好きな人と見に行くのは失礼っていうマナーを作りたい。

 バイトが終わって家に帰って机に向かったら、なんか、寝てた。いや俺もびっくりしてるんだけど、机に突っ伏してて起きたら朝五時。まあ24時間起床をするにあたってちょうどいい仮眠になるしいいけどさ。

 

おわりに

 今までの日記は一日の感想だけど、ここに書くのは一週間通しての感想です。現在時刻は午前5時48分。

 あまり日記中で触れなかったTwitterの話をすると、一週間に渡っての完全なデトックスは結局できなかったけれど、あまり開く機会のないPCを開くついでに見るというくらいにまでは抑えられたので頑張った方かな。まあただ、タイトル詐欺ではある。Twitterをしなくなった時間の一部をテスト勉強に使う程度の有効利用はできたから、みんなも一回試してみたらいいんじゃないかな。最終的には戻りたくなっちゃうと思うけど。

 思えばいつからここまでTwitterにのめり込んだんだっけ。最初に始めたのは中二の時で、でもその時は情報収集にしか使ってなかった。多分中二の終わりか中三の始めくらいに連載してた漫画との出会いが大きかったんだろうな。俺はその作品にすごく惹かれたんだけど、そこまで有名ではなかったし当時は全然友達がいなかったから語れる相手も勧める相手もいなくて、どうにか感想を話せる人を求めてTwitterに辿り着いたんだと思う。そこには教室でクラスメートがしてるような感想の交換だけじゃなくて、めっちゃ深い考察をしてる人や絵を描いてる人なんかがいて、その上作者との距離がすっごく近くて(今思えばリプしたらたまに返信が付く程度だったけど)本当に驚いたのを覚えてる。最初は作品のファンっていう接点だけだったけど、交流を重ねるごとに学生とか、現実で孤独だとか、趣味が同じとかの共通項を持ってる人が多いんだなって気付いて、匿名のアカウントたちの交わりは段々と多面性を持った人間たちの交友に変わっていった。声と文体以外ほとんど何もしらなかったけど、彼らは確かに友人だった。

 時間が経ってくると俺も彼らも変わっていって、少しずつTLの活発さは失われていった。俺もそこにいるのに飽きてきて、受験を意識し始めたこともあって名義を変え、白糸としてTwitterをするようになった。確か高1の秋。

 そこからできた仲のいい人たちとは大体今でも何らかの形で続いているし、そこに昔ほどの依存がないという点で今のネットとの距離感は心地よいけれど、やっぱりTwitterの原点になった白糸以前の人たちがいまどうしてるのかは時々気になる。谷川俊太郎は彼の一番有名な詩の中で「万有引力とは/ひきあう孤独の力である」と書いたけれど、あれはそういう出会いだったと思う。引き合って求め合う、その鮮烈な出会いの入り口だったせいで、多分、俺はTwitterがやめられない。

雑記|雪、ヘッドライト

 23時。日は既に沈み切っていて当たり前に残光は無く、天気は大雪だった。

 雪が降っていることを知るとき、雪が降っていることそれ自体が僕にそのことを教えるわけではない。太陽光や街灯を反射した光が目に映ってくるか、皮膚に冷たい感触があって初めてそれと分かる。降る時に音を立てないから、部屋に閉じこもってカーテンを閉め切っていたり、酷い路面に転ばないように俯いて歩いていたりすると突然雪景色が出現して驚く。雨や晴れと違って徐々に変わっていくわけではない感じというか、持続性が弱い感じ。あと、これは雨にも共通するけど、街灯が強すぎる夜なんかはたまに雪が見えなくなる。もちろん、自分へそれなりにかかってくるから奥とか上の方でも同じなんだろうけど、実体としてその姿が見えないので変な気分だ。そういう時は、交差点を渡る間に足元を照らしてくるヘッドライトを見て、そこに示される雪の具合にああ割と激しいんだな、なんて思ったりする。

 というか、これは全部今日の話なんだけれど。コンビニへコーラを買いに外出して初めて雪が降っているらしいことに気付いて、止まっている車のヘッドライトでそれがそれなりに激しく降っていることを知り、運が悪いなと思った。

 コンビニに入ると、バンドマンみたいな見た目の集団がいて少し警戒してしまったけど、パブリックイメージなんて誰かが恣意的に抽出した一部の印象でしかないんだよなって反省する。強気な見た目の人間だって知らない人間にいきなり変な目線を投げられたら面倒くさいと思うかもしれない。

 コーラは172円した。昨日スーパーでサイダーを買ったら100円程度だったのでもっと安いと思っていたし、帰路、自販機のコーラを見たら160円で売っていて死にたかった。 

    家に着くころには雪は止んでいたけど、アウターにはぐっしょりとした水シミがあった。